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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)5474号 判決

原告兼反訴被告

木村時子

右訴訟代理人弁護士

松村彌四郎

被告兼反訴原告

山内久代

右訴訟代理人弁護士

山本榮則

飯田秀郷

右山本栄則訴訟復代理人弁護士

辻千晶

右当事者間の給料等本訴、貸金等反訴各請求事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一  原告の被告に対する別紙債務目録(一)記載の合計金一六七万五、二九〇円の債務が存在しないことを確認する。

二  被告は原告に対し、金二五万八、九三六円およびこれに対する昭和五四年二月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の本訴請求を棄却する。

四  反訴被告は反訴原告に対し、金八三万〇、八〇〇円およびこれに対する昭和五三年六月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

五  反訴原告のその余の反訴請求を棄却する。

六  訴訟費用は、本訴について生じた分はこれを四分し、その三を原告の、その余を被告の負担とし、反訴について生じた分はこれを二分し、その一を反訴原告の、その余を反訴被告の負担とする。

七  この判決主文第二項は原告のために、同第四項は反訴原告のために、それぞれ仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(本訴)

一  請求の趣旨

1 原告の被告に対する別紙債務目録(一)ないし(三)記載の合計金二四二万五、二九〇円の債務が存在しないことを確認する。

2 被告は原告に対し、金一五九万二、〇七〇円およびこれに対する昭和五四年二月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

4 2につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴)

一  請求の趣旨

1 反訴被告(以下「原告」という。)は反訴原告(以下「被告」という。)に対し、金一六二万五、六〇〇円およびこれに対する昭和五三年六月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の請求を棄却する。

2 反訴の訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

(本訴)

一  請求の原因

1 原告は、昭和五二年一〇月二六日、被告が経営するクラブ「やまと」にホステスとして入店する際、被告との間に左の契約を締結した。

(一) 「やまと」における原告の指名客の飲食代金債務は、指名客からの入金の有無にかかわらず、飲食後六〇日以内に原告が被告に支払う。

(二) 原告が「やまと」を退店する際には、右飲食代金債務は、指名客からの入金の有無にかかわらず、退店日から一週間以内に原告が被告に支払う。

(三) 前同日被告が原告に交付した金五〇万円は、原告が一年後までに純売上高六〇〇万円を達成することを停止条件として、被告が原告に対しその返還請求権を放棄することとし、右停止条件未成就の間に原告が「やまと」を退店する場合には、原告は右交付金を被告に返還する。

2 被告は、原告が、

(一) 昭和五二年一〇月二六日から昭和五三年一月二八日ころまで「やまと」で稼働したが、別紙売掛金一覧表(省略)記載の飲食代金合計金一六七万五、二九〇円については、在店中も退店後も被告に入金しておらず、

(二) その間純売上高一〇一万四、九〇〇円を達成したが、六〇〇万円を達成しないまま退店し、前記交付金五〇万円を被告に返還していない、

と称して、右合計金二一七万五、二九〇円を原告に請求している。

3 しかし、左の理由により、右債務は存在しない。

(一) 前記1の(一)、(二)の契約は、公序良俗に反し、無効である。

その理由は、右契約は、雇主たる被告が原告との間の雇用契約締結に際し、その優越的地位を利用して、自己が本来負担すべき飲食代金回収の危険を被用者たる原告に負担させようとするものであり、また、原告自身が指名客の来店を拒むことが著しく困難であることから、その債務の額は際限なく高くなりうるものであって、しかも、原告が退店しようとする際には、退店後一週間以内に指名客の飲食代金の全額を入金しなければならないことから、原告の退店の自由を事実上制限するものであること等である。

(二) 同(三)の契約は、それ自体としては有効であるが、被告は、原告が入店後一年後までに純売上高六〇〇万円を達成する前に「やまと」を他に売却するため閉店したものであるから、故意に停止条件成就を妨げたものというべきであるので、原告はこれを成就したものとみなす。

4 被告は、被告が原告に対し、昭和五三年一〇月二六日、金五〇万円を貸渡したが、原告がうち金二五万円しか返済していない、と称して、残金二五万円の返還を原告に請求している。

5 しかし、左の理由により、右債務も存在しない。

(一) 前記のような貸金は、一般にバンスと呼ばれ、通常新たにホステスを雇入れるクラブの経営者が、ホステスを同道しまたはこれを介して、従前勤めていたクラブに負っていた指名客の未払飲食代金債務の清算金を支払い、この金額をホステスに対する貸付金として処理するものであって、同業者であるクラブ相互の利益のために行われ、実質的にはホステスが前店に対して負っていた指名客の飲食代金の立替払による立替金ないしはこれを消費貸借の目的とする準消費貸借とみるべきであるところ、その目的たる債務は公序良俗に反する契約にもとづいて発生したものであるから、かかる債務をクラブが立替払したからといって、ホステスはクラブに対し、その立替金の支払義務またはこれを目的とする準消費貸借にもとづく債務の支払義務を負わないというべきである。

(二) 原告は、「やまと」に入店する前に、クラブ「風」に勤めていたが、「風」を退店する際に、同店に対し、指名客の未払飲食代金債務の清算金として金三二七万九、一六〇円の債務を負っていたところ、被告は原告を介して、その一部である金五〇万円を「風」に支払い、これを原告に対する貸付金として処理したものである。

6(一) 被告は、原告の入店に際し、原告に対し、稼働一日当り最低金二万円の報酬を支払う旨を約した。

(二) 原告は、左のとおり、被告のために稼働した。

期間 日数

昭52・11・11~11・30 一三日

昭52・12・1~12・15 一一日

昭52・12・16~12・28 九日

昭53・1・5~1・28 一八日

計 五一日

7(一) 被告は、6のほか、原告の入店に際し、原告に対し、原告が達成した純売上高の一〇%を歩合報酬として支払う旨を約した。

(二) 原告は、その稼働期間中、左の純売上高を達成した。

期間 金額

昭52・10 一八万六、二〇〇円

昭52・11 四四万九、七〇〇円

昭52・12 三七万九、〇〇〇円

計 一〇一万四、九〇〇円

8(一) 原告は、前記1の(一)の契約にもとづき、左の金員を被告に支払った。

時期 金額

(1) 昭52・12・26 一六万七、五八〇円

(2) 昭53・1・12 五万三、〇〇〇円

計 二二万〇、五八〇円

(二) しかるに、右契約は3の(一)に前述したとおり無効であるから、被告は右金額を法律上の原因なくして利得したことになる。

9(一) 原告は、前記4の契約にもとづき、左の金員を被告に支払った。

時期 金額

(1) 昭52・11・10ころ 五万円

(2) 昭52・12・30 一〇万円

(3) 昭53・1・4 一〇万円

計 二五万円

(二) しかるに、右契約は5に前述したとおり無効であるから、被告は右金額を法律上の原因なくして利得したことになる。

10 よって、原告は左の請求をする。

(一) 原告の被告に対する前記2の(一)、(二)および4の債務合計金二四二万五、二九〇円が存在しないことの確認、

(二) 前記6の報酬請求権にもとづく給料金一〇二万円の支払、

(三) 前記7の歩合報酬請求権にもとづく歩合給一〇万一、四九〇円の支払、

(四) 前記8の不当利得返還請求権にもとづく金二二万〇、五八〇円の返還、

(五) 前記9の不当利得返還請求権にもとづく金二五万円の返還ならびに

(六) 右(二)ないし(五)の合計金一五九万二、〇七〇円に対する訴変更申立書陳述の日の翌日である昭和五四年二月一〇日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払。

二  請求の原因に対する答弁

1 請求原因1のうち、「やまと」が被告のみの経営であることは否認し、その余は認める。

2 同2のうち、原告の稼働期間が昭和五三年一月二八日ころまでであることは否認し、その余は認める。

3 同3のうち、

(一) 同(一)は争う。

(二) 同(二)のうち、被告が「やまと」を閉店したことは否認し、その余は争う。

4 同4は認める。

5 同5のうち、(一)は争い、(二)は否認する。

6 同6のうち、

(一) 同(一)は否認する。

(二) 同(二)のうち、原告の昭和五三年一月中の稼働日数は否認し、その余は認める。

7 同7は否認する。

8 同8のうち、

(一) 同(一)のうち、(1)、(2)記載の時期に同記載の金員が原告から被告に支払われたことは認め、その余は否認する。

(二) 同(二)は争う。

9 同9のうち、(一)は認め、(二)は争う。

三  抗弁

1 請求原因1の(三)および3の(二)に対して

仮に、請求原因3の(二)が容れられるとしても、被告と原告は、被告が請求原因1の(三)の契約にもとづき原告に交付した金五〇万円の返還請求権をもって、昭和五二年一一月一〇日ころ、消費貸借の目的とすることを約した。

2 請求原因6に対して

仮に請求原因6の(一)の事実が認められるとしても、原告と被告は、昭和五二年一一月一一日に、報酬の支払方法を原告の入店時に遡って左のとおり変更する旨合意した。

(一) 被告は原告に総売上高(純売上高に席料、オール代、サービス料、税金等を加えたもの)の請求書を交付し、原告は各顧客から総売上高を回収した後、純売上高のみを被告に入金し、その余は原告の取得とする。

(二) 被告は原告に対し、最低報酬額の支払義務を負わないものとする。

四  抗弁に対する答弁

1 抗弁1は認める。

2 抗弁2に否認する。

(反訴)

一  請求の原因

1 被告は原告に対し、昭和五二年一〇月二〇日ころ、金五〇万円を貸渡した。

2 被告と原告は、被告が原告に対し左記契約にもとづき交付した金五〇万円の返還請求権をもって、昭和五二年一一月一〇日ころ、消費貸借の目的となすことを約した。

(一) 被告は原告に金五〇万円を交付し、原告は被告に対しこれを返還する。

(二) 原告の指名客による「やまと」の純売上高が一か月金五〇万円以上であることが一年間継続し、かつ右指名客の純売上高が飲食後四五日以内に被告に入金したときは、被告は原告に対し(一)の返還請求権を放棄する。

3 原告は、被告と共同してクラブ「やまと」を経営していたが、

(一) 原告の指名客が「やまと」において飲食した場合には、被告が売上明細伝票を作成して「やまと」に保管し、後日その指名客に対し、原告が振込先を原告名義の銀行口座とする「やまと」名義の請求書を送付し、右指名客からの飲食代金および税金の支払は、すべて右原告名義の銀行口座に振込入金されることになっていた。

(二) そして、原告は被告に対し、指名客から入金を受けた右飲食代金のうち純売上高を被告に入金することを約していた。

(三) 原告の指名客による昭和五二年一一月一日から昭和五三年一月六日までの間の総売上高(含税金)および純売上高は別紙売上高一覧表(省略)記載のとおりである。

(四) 原告は、右総売上高を全額回収した。

(五) 仮に右総売上高中に回収しえなかった部分があるとしても、原告は被告に対して代金未回収の指名客の住所・氏名等を明らかにする契約上の義務があるにもかかわらず、これを怠った結果、被告の右指名客に対する飲食代金の請求は事実上不可能となり、被告は、右飲食代金のうち純売上高相当の損害を蒙った。

4 よって、被告は原告に対し、左の請求をする。

(一) 前記1の貸金返還請求権にもとづく内金二五万円の返還、

(二) 前記2の準消費貸借金返還請求権にもとづく金五〇万円の返還、

(三) 前記3の純売上高入金義務または指名客の住所・氏名告知義務不履行による損害賠償義務にもとづく金八七万五、六〇〇円の支払および、

(四) 右(一)ないし(三)の合計金一六二万五、六〇〇円に対する反訴状送達の日の翌日である昭和五三年六月一四日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による金員の支払。

二  請求の原因に対する答弁

1 請求原因1は認める。

2 同2のうち、(二)は否認し、その余は認める。

3 同3のうち、前文は否認し、(一)ないし(三)は認め、(四)は否認し、(五)は争う。

三  抗弁

1 請求原因1に対し

本訴請求原因5と同じ。

2 請求原因2に対し

本訴請求原因1の(三)および3の(二)と同じ。

3 請求原因3に対し

本訴請求原因1の(一)、(二)および3の(一)と同じ。

四  抗弁に対する答弁

1 抗弁1に対し、

本訴請求原因に対する答弁5と同じ。

2 抗弁2に対し

本訴請求原因に対する答弁1および3の(二)と同じ。

3 抗弁3に対し

本訴請求原因に対する答弁1および3の(一)と同じ。

第三証拠(省略)

理由

一  当事者間に争いのない事実に(証拠省略)を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告兼反訴被告(以下「原告」という。)と被告兼反訴原告(以下「被告」という。)は、かねて友人関係にあったところ、昭和五二年秋ころ、被告から原告に対し、銀座にクラブを開きたいので出資してほしい、との話があったが、原告が出資を断ったため、被告は、自己の資金のみによって同年一〇月二五日銀座にクラブ「やまと」を開店することとし、同月二六日、原告との間に左の契約を締結した(締結の事実は当事者間に争いがなく、契約内容は(一)を除き当事者間に争いがない)。

(一)  原告は、「やまと」においてホステスとして稼働し、被告は原告に対し、稼働一日当り金二万円の報酬を各月の一五日と末日に支払う。

(二)  「やまと」における原告の指名客の飲食代金債務は、指名客からの入金の有無にかかわらず、飲食後六〇日以内に原告が被告に支払う。

(三)  原告が「やまと」を退店する際には、右飲食代金債務は、指名客からの入金の有無にかかわらず、退店日から一週間以内に原告が被告に支払う。

(四)  被告は原告に対し、契約と同時に金五〇万円を交付し、原告は被告に対し、これを返還することを約するが、被告は原告に対し、原告が契約後一年以内に純売上高六〇〇万円を達成することを停止条件として、その返還請求権を放棄することとし、右停止条件未成就の間に原告が「やまと」を退店する場合には、原告は右交付金を被告に返還する。

なお、右契約締結に際し、被告が原告に対して本訴請求原因7の(一)記載の約束をした、との事実については、これを認めるに足る証拠がない。

2  右契約締結と同時に、被告は原告に対し、右1の(四)の約旨にもとづき金五〇万円を交付するとともに、これとは別に金五〇万円を交付し(以上の事実は当事者間に争いがない。)、原告は被告に対し、同年一一月から毎月一〇万円ずつの割賦により後者の金五〇万円を返還することを約した。

なお、本訴請求原因5の(二)の事実については、原告本人尋問の結果および(証拠省略)によっても、被告が右金五〇万円を原告に交付するに際し、原告のクラブ「風」に対する債務の存在、性質および数額ならびに右金員の使途を知っていたものとは認められず、その他右事実を認めるに足る証拠はない。

3  原告は、前記1の(一)の約旨にもとづき、同年一〇月二六日から「やまと」においてホステスとして稼働し、同年一一月一五日ころ、入店日から同月一〇日までの間の稼働日数一一日に対応する報酬金二二万円の支払を受けることとなったが、右報酬からは公租公課のほか右2の割賦返済金として金五万円および「前払金」として金一〇万円が控除されており、原告の手取額は金五万三、〇〇〇円であった。

4  原告の指名客が「やまと」において飲食した場合には、被告が売上明細伝票を作成して「やまと」に保管し、後日その指名客に対し、原告が振込先を原告名義の銀行口座とする「やまと」名義の請求書を送付し、右指名客からの飲食代金および税金の支払は、すべて右原告名義の銀行口座に振込入金されることになっていた(以上の事実は当事者間に争いがない。)が、原告は被告に対し、原告の指名客の住所・氏名を告げず、被告もまたこれを強くは原告に求めなかった。

5  同年一一月中旬に至り、被告は原告ほか二名のホステスに対し、「やまと」の経営難を訴え、それまでの給料制を廃止し、

(一)  被告は原告らホステスに総売上高(純売上高に席料、オール代、サービス料、税金等を加えたもので、金額は、純売上高の約二倍程度になる。)の請求書を交付し、各ホステスはその指名客にこれを送付し、自己名義の銀行口座に総売上高の振込入金を受けた後、純売上高のみを被告に入金し、税金を除くその余を各ホステスの取得とする、

(二)  被告は原告らに対し、最低報酬額の支払義務を負わない、

という制度(以下「純売入金制」という。)を開店時に遡って実施したい旨を提案し、同月末にも同年一二月一五日にも原告ほか一名のホステスに対する報酬を支払わなかったが、原告は、同年一二月二八日ころまで従前どおり「やまと」において稼働し続け、翌年一月にも出勤していた。

なお、昭和五二年一一月一一日以後の「やまと」における原告の稼働日数は、同日から同月三〇日までの間に一三日、同年一二月一日から同月一五日までの間に一一日、同月一六日から同月二八日までの間に九日であった(以上の事実は当事者間に争いがない。)ほか、昭和五三年一月中に少なくとも一日であった(右事実は、〈証拠省略〉によって認められる。)が、同月中に原告が稼働した日数のうち一日を超える部分を確実に認めるに足る証拠はない。よって、昭和五二年一一月一一日以後の原告の稼働日数は合計三四日であったというべきである。

また、原告と被告は、前記1の(四)の約旨にもとづき被告が原告に交付した金五〇万円の返還請求権をもって、昭和五二年一一月一〇日ころ、消費貸借の目的となすことを約した(準消費貸借契約締結の事実自体は当事者間に争いがない。)が、これを証するための借用証(前掲乙第二号証)は、日付を同年一〇月に遡らせたうえ、返済方法を同年一一月から翌年三月まで毎月二回各金五万円ずつ分割弁済する、という内容で作成された(原告本人尋問の結果中、右借用証は前記2の金五〇万円の消費貸借を証するための借用書(前掲乙第一号証)と同日に作成された旨の供述部分は、右各号証がそれぞれ原告の捺印と指印によって作成されていることおよび同一の連帯保証人が一方に捺印し他方に捺印も指印もしていないことに照らし、たやすく措信しがたく、他に前認定を覆すに足る証拠はない。)。

6  同年一二月二六日、原告は被告に対し、金一六万七、五八〇円を支払った(この事実は当事者間に争いがない。)が、右金額は、同年一〇月二六日から同月末までの原告の指名客による純売上高合計金一五万九、九〇〇円にほぼ等しい(差額は七、六八〇円。)ものであった。

また、昭和五三年一月一二日、原告は被告に対し、金五万三、〇〇〇円を支払った(この事実も当事者間に争いがない。)が、右金額は、原告に対して昭和五二年一一月一五日ころ支払われた報酬の手取額に一致するものであった。

7  昭和五二年一二月二八日に至り、被告は、原告らホステスの面前で、営業不振を理由に、クラブとしての「やまと」の営業を同年末をもって廃止する旨を宣言したが、原告らホステスは、クラブとしての「やまと」の廃業を知らない指名客の不意の来店に備え、翌年一月に入っても従前どおりの時間帯に出勤してきていた。

8  その前後を通じ、原告は、少なくとも、別紙売掛金一覧表番号6記載の飲食代金および別紙売上高一覧表番号2、11、34、54、55各記載の総売上高を回収した(右事実は〈証拠省略〉により認められる。)が、後者に対応する純売上高合計金八万〇、八〇〇円を被告に入金していない。

なお、右両表記載のその余の売掛金ないし純売上高については、(証拠省略)によれば、その一部が原告によって回収されたのではないかと窺われるが、その程度を越えて特定の売掛金ないし総売上高が確実に原告によって回収されたことを認めるに足る証拠はない。

二  以上の事実関係にもとづき、以下判断を加える。

1  本訴請求原因1の(一)、(二)の契約が締結されたことは当事者間に争いがないけれども、前記一の1の(一)および同5、6の事実を総合すると、原告が昭和五二年一二月二六日に被告に支払った金一六万七、五八〇円は、同年一〇月二六日から同月末までの原告の指名客による純売上高の入金と推認され、昭和五三年一月一二日に支払った金五万三、〇〇〇円は、開店時から昭和五二年一一月一〇日までの原告の報酬の手取額の返還と認められるから、原告は、昭和五二年一二月二六日ころまでには純売入金制を開店時に遡って実施することを黙示的に承諾していたものと認めるのが相当である。従って、指名客の飲食代金の総額を指名客からの入金の有無にかかわらず被告に支払うべきことを約した前記契約も、開店時に遡ってその効力を失うに至ったものというべきである。

よって、本訴請求の趣旨1は、右契約にもとづく別紙売掛金一覧表記載の飲食代金合計金一六七万五、二九〇円を指名客からの入金の有無にかかわらず被告に支払うべき債務の不存在確認を求める部分について理由があるが、同時に本訴抗弁2も後述の限度において理由があり、かつ本訴請求原因8の(一)の(2)および同(二)は後述の限度において理由がないことになるから、本訴請求の趣旨2は、昭和五二年一一月一一日以降の稼働日数五一日分の報酬として金一〇二万円およびこれに対する遅延損害金の支払を後述の範囲を越えて求める部分について理由がなく、また不当利得金五万三、〇〇〇円の返還およびこれに対する遅延損害金の支払を後述の範囲を越えて求める部分についても理由がない。

ところで、前記純売入金制の合意は、その(二)において、被告は原告に対し、最低報酬額の支払義務を負わないものとする合意を含んでいるが、右合意は、次の理由により、最低賃金法五条に牴触し、同条二項により修正を受けるものと解される。すなわち、右のような報酬の支払方法の変更は、原告が労働基準法九条にいう「労働者」であり、被告が同法一〇条にいう「使用者」であり、被告から原告に支払われる報酬が同法一一条にいう「賃金」であることの実質をまで失わせるものではないから、最低賃金法二条に従い、原告は、なお同法五条にいう「最低賃金の適用を受ける労働者」に該当するものと解され、従って、原被告間の前記合意も、「最低賃金の適用を受ける労働者と使用者との間の労働契約で最低賃金額に達しない賃金を定めるもの」に該当するから、被告は原告に対し、同法一七条によって労働大臣または都道府県労働基準局長が公示した最低賃金に関する決定に従い、最低賃金額相当の報酬を支払う義務があるものというべきである。

そして、原告の請求にかかる昭和五二年一一月一一日から翌年一月二八日までの間における東京都内の事業場で使用される労働者にかかる最低賃金額は、同年一〇月一日に公示され同月三一日に効力を発生した東京労働基準局最低賃金公示第一〇号によれば、一日当り金二、四七八円であるから、被告は原告に対し、一の5に前述した同年一一月一一日以後の原告の稼働日数である三四日に右最低賃金額を乗じた合計金八万四、二五二円の報酬を支払う義務を負うものというべきである。

また、原告が被告に返還した開店時から昭和五二年一一月一〇日までの原告の報酬の手取額金五万三、〇〇〇円のうちには、右期間中被告が原告に対し最低賃金として支払うべき義務を負っていた報酬が含まれていたものと認められるから、この部分については、被告は法律上の原因なくして利得したことになるので、原告は被告に対し、不当利得返還請求権にもとづき、同部分相当額の返還を求めることができるものというべきである。

そして、(証拠省略)によれば、原告は「やまと」において開店時から昭和五二年一〇月三〇日までの間に三日、翌三一日から同年一一月一〇日までの間に八日稼働したものと認められるところ、前者の期間における東京都内の事業場で使用される労働者にかかる最低賃金額は、昭和五一年一〇月二八日に公示され同年一一月二七日に効力を発生した東京都労働基準局最低賃金公示第八号によれば、一日当たり金二、二六〇円であるから、被告は原告に対し、右期間中の稼働日数である三日に右最低賃金額を乗じた合計金六、七八〇円の報酬を支払うべき義務を負っていたものというべきであり、後者の期間における右同様の最低賃金額は、前述のとおり一日当り金二、四七八円であるから、右期間中の稼働日数である八日に右最低賃金額を乗じた合計金一万九、八二四円の報酬を支払うべき義務を負っていたものというべきである。

従って、被告は、右報酬相当分合計金二万六、六〇四円を法律上の原因なくして利得したことになるので、右金額を原告に返還する義務を負うものというべきである。

よって、本件請求の趣旨2は、前記最低賃金相当額の報酬金八万四、二五二円の支払および右不当利得金二万六、六〇四円の返還ならびにこれらに対する訴変更申立書陳述の日の翌日であること記録上明らかな昭和五四年二月一〇日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分について理由がある。

2  本訴請求原因1の(三)の契約が締結されたことは当事者間に争いがなく、右契約がそれ自体として有効であることは原告も争わないところであるが、一の5に前述したとおり、被告と原告は、右契約にもとづき被告が原告に交付した金五〇万円の返還請求権をもって、同年一一月一〇日ころ、消費貸借の目的となすことを約したものである。

ところで、準消費貸借は、種々の法律原因によって金銭その他の代替物を給付する義務を負う当事者がその物を目的として消費貸借の合意をすることにより、民法五八七条所定の目的物の授受を要せずに消費貸借契約を成立させようとするものであるから、準消費貸借をする当事者の普通の意思は、既存の債務に消費貸借としての性格を与えることにあると考えられる。従って、旧債務に伴う抗弁で消費貸借の性格と一致しないものは、原則として消滅し、旧債務に伴う担保・保証などは、原則として存続するものと解するのが相当である。

そして、一の1の(四)に前述したとおり、本件の旧債務には、原告が契約後一年以内に純売上高六〇〇万円を達成することを停止条件として、被告が原告に対しその返還請求権を放棄する旨の抗弁が付着していたものであるが、このように一旦発生した返還請求権の存否を不確定な将来の事実にかからせるような抗弁は、同種・同等・同量の代替物の単純な返還約束を原則形態とする消費貸借の性格と一致しないものというべきであるから、当事者が敢えてこれを存続させる旨の意思表示をしない限り、本件準消費貸借契約の締結によって消滅したものと解すべきである。

本件においては、当事者が右のような意思表示をしたものと認めるに足る証拠がなく、かえって、一の5に前述したとおり、被告と原告は、前記金五〇万円を同年一一月から翌年三月まで毎月二回各金五万円ずつ分割弁済する旨約束しているのであるから、右金員の返還請求権を確定的な弁済期を有する単純な貸金返還請求権に変更したものと解するのが相当である。

よって本訴請求の趣旨1は、右交付金五〇万円を被告に返還すべき義務の不存在確認を求める部分について理由がなく、反訴請求の趣旨1は、右準消費貸借金の返還とこれに対する反訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五三年六月一四日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分について理由がある。

3  反訴請求原因1の消費貸借がなされたことは当事者間に争いがないところ、一の2に前述したとおり、右契約については、本訴請求原因5の(二)の事実を認めるに足る証拠がないから、一般論として同5の(一)のように解するとしても、同請求原因およびこれと同旨の反訴抗弁1は理由がなく、また、右契約にもとづき原告が被告に既に支払った金員を不当利得とする本訴請求原因9も理由がない。

よって、本訴請求の趣旨1は、右貸金のうち金二五万円を被告に返還すべき義務の不存在確認を求める部分について、同2は、右貸金のうち原告が被告に返済した金二五万円の返還およびこれに対する遅延損害金の支払を求める部分についてそれぞれ理由がなく、反訴請求の趣旨1は、右貸金のうち金二五万円の返還およびこれに対する反訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五三年六月一四日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分について理由がある。

4  一の1に前述したとおり、被告が原告に対して本訴請求原因7の(一)の約束をしたことを認めるに足る証拠はないから、本訴請求の趣旨2は、歩合報酬金一〇万一、四九〇円およびこれに対する遅延損害金の支払を求める部分について理由がない。

5  次に、純売入金制の効力について判断する。

純売入金制は、クラブの経営者が指名客による飲食代金の取立をホステスに委任するとともに、ホステスが指名客から取立てた総売上高のうち約半分に当る純売上高のみをクラブに入金させ、税金を除くその余をホステスの取得とする、といういわば出来高払賃金制類似の制度であるから、ホステスとしては、可及的に多数の指名客から可及的に多額の飲食代金を取立てれば、それだけ自己の収入が増加し、クラブの純売上高収入も増加する、という関係になるので、それ自体としては、クラブとホステスの双方にとって不合理なものとはいえず、特に本件のように、ホステスが指名客の住所・氏名をクラブに告知しない場合においては、クラブにとって、指名客による飲食代金を能率的に回収しうる唯一の方法であるとも考えられる。

しかし、純売入金制のもとにおいて、指名客からの入金の有無にかかわらず、飲食後一定期間内にその指名客による純売上高をクラブに入金すべきことをホステスに義務づける契約は、従業員であるホステスの意向とはあまり関係なく、むしろクラブや指名客の意思や都合によって決定される飲食代金のうち約半分を占める純売上高をホステスに債務保証させるに等しく、また、ホステス自身が指名客の来店を拒むことが著しく困難であることから、その債務の額は際限なく高くなりうるものであって、ホステスに不当に苛酷な負担を強いるものである反面、クラブが本来負担すべき飲食代金回収不能の危険を回避し、これをホステスに負担させようとすることによって、一方的に利益を受けるものであるから、それ自体公序良俗に反し、無効と解すべきである。

従って、純売入金制は、ホステスが指名客から現実に飲食代金を回収した場合に限り、その指名客による純売上高をクラブに入金する義務を負う、という限度においてのみ有効であると解すべきである。

また、本件においては、原告が被告に対し、指名客の住所・氏名を告知すべき契約上の義務を負っていたものと認めるに足る証拠はないが、仮にそのような義務がホステスにあるとしても、その不履行を理由とする損害賠償義務をホステスに負わせることは、実質的にホステスをして指名客からの入金の有無にかかわらずその指名客による純売上高をクラブに入金させるのと同様な結果を生じさせる限度において、前同様公序良俗に違反するものと解すべきである。

以上により、原告は被告に対し、現実に飲食代金を回収した指名客による純売上高のみを被告に入金すべき義務を負い、その余の指名客による純売上高を入金すべき義務を負わないものというべきである。

ところで、一の8に前述したとおり、原告は、別紙売上高一覧表のうち、少なくとも番号2、11、34、54、55各記載の飲食代金を回収したことが認められるが、同表記載のその余の特定の飲食代金が確実に原告によって回収されたことを認めるに足る証拠はない。

よって、反訴請求の趣旨1は、原告に対し、右各番号記載の純売上高合計金八万〇、八〇〇円の支払およびこれに対する反訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五三年六月一四日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分について理由があるが、その余の各番号記載の純売上高合計金七九万四、八〇〇円の支払およびこれに対する遅延損害金の支払を求める部分については理由がない。

6  本訴請求原因8の(一)の(1)記載の金一六万七、五八〇円が原告から被告に支払われたことは当事者間に争いがなく、1に前述したとおり、右金員は、昭和五二年一〇月二六日から同月末までの原告の指名客による純売上高の入金とみられるところ、一の8に前述したとおり、別紙売掛金一覧表番号1ないし8の飲食代金のうち原告が確実に回収したと認められるのは番号6のみであり、その純売上高は、(証拠省略)によれば、金一万九、五〇〇円であったと認められるから、これを差引いた金一四万八、〇八〇円については、原告が確実に回収したと認められないまま被告に入金されていることになる。そして、このような入金が公序良俗に反する契約にもとづく支払に該当することは、5に前述したとおりであるから、被告は、右金員を不当に利得したことになる。

よって、本訴請求の趣旨2は、右不当利得金一四万八、〇八〇円の返還およびこれに対する訴変更申立書陳述の日の翌日であること記録上明らかな昭和五四年二月一〇日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分について理由があるが、前記回収済みの金一万九、五〇〇円の支払およびこれに対する遅延損害金の支払を求める部分については理由がない。

三  まとめ

以上のとおりであるから、本訴請求は、原告の被告に対する別紙債務目録(一)記載の合計金一六七万五、二九〇円の債務が存在しないことの確認ならびに被告に対して不当利得金二万六、六〇四円および一四万八、〇八〇円の各返還と最低賃金相当額の報酬金八万四、二五二円の支払およびこれらの合計金二五万八、九三六円に対する昭和五四年二月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲内で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、反訴請求は、被告の原告に対する貸金のうち金二五万円と準消費貸借金五〇万円の各返還および純売上高のうち金八万〇、八〇〇円の支払ならびにこれらの合計金八三万〇、八〇〇円に対する昭和五三年六月一四日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲内で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡邊壯)

〈以下省略〉

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